日本パルクール協会公式メールマガジン第1号

━日本パルクール協会公式メールマガジン第1号━━━━━━━━━━━━━━━━

全国のトレーサーの皆さま、こんにちは。日本パルクール協会広報部です。
メルマガ第1号をお送りします。

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~目次~
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■1■特別記事
○日本パルクール協会設立に関するご報告
■2■パルクールコラム
○パルクールの語源は?
■3■JPAニュース&更新情報
○第1回日本全国パルクール調査の調査報告書が公開!
■4■全国トレーサーインタビュー
○File No.1 日本パルクール協会会長 松田光希
■5■協会Q&A
■6■今月のパルクール掲示板

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■1■特別記事
○日本パルクール協会設立に関するご報告

2014年4月1日、日本パルクール協会を正式に設立いたしました。
当協会の発起人は、札幌にて2008年より
パルクールの普及活動を続けていた松田光希です。

現在の日本では、初心者・経験者を問わず
気軽にパルクールを始められる環境はほとんど整っておりません。
確かに一部の大都市では定期的な練習会が開催されることや、
練習会を通して知り合った仲間同士が集まって
練習することは多く見られるようになりました。

しかし、多くの地方都市では練習会は開かれておらず、
パルクールをやっている仲間を探すことすら
困難である地域のほうが多い、というのが現状です。

また大都市であっても、ウェブサイト上での告知により開催される練習会は
完全にインターネット検索に依存している練習形態であり、
実際にパルクールを始めるにあたっての敷居が十分に低い、とは
まだまだ言える状況ではありません。

加えて、日本のパルクール人口に増加の傾向が見られたおかげか、
街中で飛び跳ねる海外のパルクール動画の様子をそのまま真似して、
一般市民として当然守るべきマナーやモラルを無視する人々も増え始めました。
ストリートカルチャーに対する誤解やマイナスイメージが根強い日本において、
マナーを無視して街中で自由に飛び跳ねるエクストリームスポーツ、
というイメージを全国的に持たれてしまえば、
練習場所がおのずと減っていくのは想像に難くありません。

そのような現状を踏まえ、大都市・地方を問わず日本のどこに住んでいても
気軽にパルクールを始められるような練習環境の整備や、
21世紀の日本社会に適合した形でのパルクール文化の形成が急務だと考え、
「日本パルクール協会」は設立されました。

「気軽に誰もがパルクールを楽しめる日本をつくる」
「日本のパルクールという文化を確立する」
という2つの理念のもとで日本パルクール協会は活動しており、現時点では
・地方都市のパルクールコミュニティの発達支援
・国内のパルクール情報の収集と発信
を主幹事業としております。

今後は多方面で事業展開をしていく所存ですので、
これからも皆さまのご協力をよろしくお願い申し上げます。

■2■パルクールコラム
○パルクールの語源は?

パルクールって、どういう意味なの?何語?
パルクールの話を知人にしたら聞かれた、という方は多いかもしれませんね。
フランスで生まれたんだからフランス語なのは分かるけど、
語源と意味までは・・・という方は多いのではないでしょうか?

パルクール(Parkour)の生みの親は
かの有名なDavid Belle(ダヴィッド・ベル)である、
というのは広く言われていることですが、
実はパルクールの語源ははるか昔、戦時中まで遡ります。

第1次世界大戦、第2次世界大戦の間、ジョルジュ・エベルという
元フランス海軍将校の体育教官が作った「méthode naturelle」という
新しい運動システムがフランス軍において広まっていました。
「méthode naturelle」はやがてフランスの軍事訓練、軍隊教育の
スタンダードとなりましたが、このジョルジュ・エベルによって提案されたのが、
「parcours du combattant」という障害物コース形式の軍事訓練です。

ダヴィッド・ベルの父、レイモンド・ベルは1939年に現在のベトナム、
フランス領インドシナに生まれ、ベトナムで育ちました。
1946年に始まった第1次インドシナ戦争においてフランス軍兵士として
応召されていたレイモンドは、現在のベトナム中南部の都市ダラットにて
軍隊教育と軍事訓練を受けました。第1次インドシナ戦争が終わった1954年、
レイモンドはフランスに戻り、パリで軍隊の管理下におかれている消防士、
サープル・ポンピエ・ドゥ・パリとしての職に就きます。

1973年にフランスの小さな港町フェカンで生まれたダヴィッドは、1984年に
パリ郊外の街Lissesに引っ越します。陸上競技や体操競技では
満足できなかったダヴィッドは、父レイモンドから「Le parcours」を教わりました。
レイモンドは彼が過去に培った様々なトレーニングメソッドを
全て包括する言葉として、「Le parcours」を用いていたのです。
レイモンドの言う「Le parcours」を全て学んだダヴィッドは、
Lissesにて独自にトレーニングを続け、
後にYamakasiと呼ばれることになる友人達と出会うのです。
さて、Lissesでいかにして初期のパルクールが発展したかは割愛するとして、
実際に「parcours」が「parkour」になるにはまだ少しだけ時間がかかります。
1998年、ダヴィッドはとある友人からある日、「parcours」のcをkに変えて、
sを無くしてみてはどうか?という提案を受けます。
この日より「Parkour」が誕生し、ダヴィッドは自分のやっていることを
「Parkour」と呼ぶようになったのです。

ちなみに、「Parkour」が誕生するまでに使われており、現在も
Yamakasiらが使い続けている「L'art du déplacement(ADD)」という言葉は、
実はたった1年前の1997年にセバスチャン・フーカンによって生まれた言葉です。

ではさらにその前、彼らは自分達のやっていることを何と呼んでいたのでしょう?
疑問は深まるばかりです。

ちなみに、「parcours」というフランス語は、日本語で「道のり」を意味します。
パルクールはフランス語で道のりって意味なんだよ!と今後は答えられますね!

■3■JPAニュース&更新情報
○第1回日本全国パルクール調査の結果報告書が公開!

第1回日本全国パルクール調査の結果報告書が本日公開となりました。
先日公開しておりました暫定版には掲載されていなかった、
パルクールの社会的理解度や、今後必要な活動などに関する
皆さまの意見をまとめたものが追加されております。
50ページ超えと分量の多い報告書となっておりますが、是非ご一読ください。

http://jpa.the-ninja.jp/WebPage/media/research.html

ご協力いただいた皆様、誠にありがとうございました。

■4■全国トレーサーインタビュー
こんにちは、JPA副会長兼インタビューアーの真貝陽介です。
全国トレーサーインタビューは、日本全国でパルクールをしている
様々なトレーサーを取材し、「生のパルクール」を伝えるコーナーです。

第1回のインタビューでは、いつも一緒に仕事をしている会長の松田に
インタビューをしてみました。
日本一パルクールの未来を想う男の本音、お楽しみください。

File No.1: 日本パルクール協会会長 松田光希
~JPA会長のパルクールとの出会いとチームの解散~

プロフィール:松田光希
北海道出身のトレーサー。日本パルクール協会現会長。
スノボ、柔道、テニス、ジャグリング等多種に渡るスポーツをしてきた。
北海道初のパルクールチーJIN、北海道大学初のパルクールサークル
Sapporo Parkour Krewを設立した経歴を持つ。

開始早々好きなスポーツはジャグリングと答えた松田会長。
早速予想の斜め上をいかれ驚きを隠せなかったが、
インタビューを通して松田のパルクールに対する想いを聞いた。

○パルクールとの出会い、そして再会

真貝:パルクールを知ったきっかけは?

松田:小学校6年生のとき、世界丸見えというテレビ番組で
「Jump London」というパルクールのドキュメンタリーが
放送されたことがあったんです。おそらくフリーランニングという名前で
紹介されていたと思います。マネをしたくなるような動きが
たくさんあったので、小学校で一番仲が良かった友人と一緒に
河川敷の公園に行って、テニスコートのフェンスや遊具で
ヴォルト等のマネをした記憶があります。
それがパルクールを知ったきっかけですね。

真貝:その後はパルクールはされていたんですか?

松田:してないですね。
一時期は友人達と公園で遊んだりしてはいましたが、
フリーランニングやパルクールという意識は一切なくて。
友人達との遊びの中でパルクールをするのも飽きてきたので、
とくにそれ以降はパルクールやフリーランニングの動きを
公園等で練習するというのはずっと無かったですね。
ただ、最近あまり見なくなったツーハンドヴォルトという
ヴォルトとかは、パルクールという意識は一切せずに私生活の中でも使っていました。

真貝:その後は他の趣味に移行したのでしょうか。

松田:テニスを中学時代に始めました。
テニスと柔道をほぼ同時期にやっていましたね。
丁度スノーボードを始めたのもその頃です。
冬の北海道はテニスが全然出来なくなってしまうので。

真貝:その後、改めてパルクールをするきっかけになったのはいつ頃ですか?

松田:16歳のときですね。
高校1年生の時、カナダに留学していたんです。
留学中に運動しないと、ジャンクフードを食べて太るという
伝説が留学界隈では言われていたので、太りたくないなって思って
都合の良い運動方法を探していたんですよ。
その時期にたまたまパルクールの動画を見て、
「そういえばこれ小学生の時にやってたアレじゃないかな」って気付きました。
あれはパルクールっていう名前で、体系化された運動方法であり
スポーツなんだなというのを知りました。
その動画を見たときにビビッときたんですよね。
動画を見てこう、何か運命的なものを感じて・・・。

真貝:運命的な再会というか。

松田:そうですね。何かに突き動かされるように
パルクールにそこから没頭していったのを覚えています。
それが2008年の10月以降の話ですね。

この続きは、メールマガジン会員限定ウェブページにてご覧いただけます。
http://jpa.the-ninja.jp/WebPage/interview/matsuda.html


■5■協会Q&A
協会Q&Aは、日本パルクール協会に寄せられている
ご意見、ご要望、ご質問などを抜粋し、広報部が答えていくコーナーです。
皆様からのご意見・ご要望・ご質問は、お問い合わせのメールアドレスまで!

○デンマークのようにパルクールパークがあったらいいなと思うので、設置ができるのであればお願いしたいです。

日本パルクール協会は、都市における国内初の
公共パルクールパークの設置に向けた行政との交渉を
将来的に視野に入れておりますが、現在の日本のパルクール人口及び
実施状況では非常に難しいという結論に至っております。
公共パルクールパークの設置には、
設置地域においてパルクールパークに対するニーズが非常に大きいこと、
行政がパルクールパークの建設に動き出す十分な理由があること、
パルクールパークの利用者数が十分多いと想定できること、
設置地域におけるパルクールの理解が行政・市民から十分にあることなどが
条件として考えられますが、これらを満たしている地域は
まだ日本にはないと考えております。

一方で、私設のパルクールパークに関しては
日本国内でも設置に向けた活動がわずかながら確認されております。
日本パルクール協会では、今後増加すると考えられる
各地域の私設パルクールパークやパルクールの利用が認められている施設を
公式ウェブサイト上にて紹介していく予定です。

日本パルクール協会では、
公共パルクールパークの設置を願うパルクール関係者の皆さまご自身が、
いつかその地域で設置交渉をする立場になること、
あるいは設置に向けた署名に協力する立場になることを想定し、
お住まいの地域におけるパルクールの人口増加と地域理解を
進めていくことが公共パルクールパーク設置への最短の道のりだと考えております。

■6■今月のパルクール掲示板
今月のパルクール掲示板のコーナーでは、
日本全国から寄せられたパルクール情報を掲載しています。
イベントの告知はもちろんのこと、パルクールチームのメンバー募集や
結成・解散・活動報告、パルクール仲間が見つからない人のための仲間募集など、
日本全国に向けて発信したい情報がある皆さんが自由に使えるコーナーです!

掲示板への情報掲載を希望される方は本メールアドレス宛に、
件名を「パルクール掲示板掲載依頼」にし、必要情報とともに送信してください。

※掲載可能情報に関しては、参加が無料のイベントのみとなっております。

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